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教会 > モーのカテドラル(サン・テティエンヌ大聖堂)の歴史
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現在ゴシック様式のこのカテドラルの建設の始まりは 1170−1180 年に遡る。身廊の入り口手前2本の東洋風梁間は最も古い時代に造られたものである(12世紀の初め)。 放射状になった内陣は13世紀後半に完成した。 光度、建築の繊細さ、丸天井の高さがこのカテドラルを壮麗な傑作に仕上げている。 身廊 の建設 は 14 世紀まで続く。西洋風正面は14世紀の終わりから15世紀の初めに建てられた。最後に北の塔 が 1540年に完成した。カテドラルの彫刻は非常に豪華で、特に5つの門タンパンに施されたものは顕著である。

カテドラルの内部では、内陣の高窓、14世紀にできたキリスト磔刑が描かれたステンドグラス、その向かい側には15世紀作成の大きなばら窓とその下にあるヴァレラン・ド・エマン作の17世紀の見事なパイプオルガンを観賞できる。 この内陣の南側ではジャック・ベニン・ボシュエ司教の墓石が注目できる。

この町で有名なこの司教は “ モーの鷲 ” と呼ばれていた。彼は太陽王ルイ14世の聴罪司祭であり、説教することが認められていた。
1246年:ツスクルンの司教とフランスへのローマ教皇特使がオドンからモーを訪問する。“滞在中、ローマ教皇特使は、以前からあった悪弊を終わらせるためにいくつかの改革を行う。彼はまたこの機会に、モーの教会における規律への服従を復活させるために設けてあったいくつかの規則についても徹底させる。 これらの規則の1つは、例えばミサの間 、 内陣における教会参事会員のお喋りに対し措置をとる、 というもの である。 この規則は、内陣の両側で椅子 4

脚分の距離からおしゃべりが聞こえれば誰であれ、ミサに出席した時間に対する報酬の全てを失うというものであった。また、ローマ教皇特使によって解決された他の悪弊の一つとして、聖イノソンの日のミサの挙行についてというのがある。このミサの日、聖歌隊の子供たちは手に花束を持ち、大きな音を立てながらカテドラルに入ってきて、高い説教段に並ぶ。特使は神に捧げられたミサの尊厳に反する何ものでもないと、この行為を禁止した。 ”

モーのカテドラル(サン・テティエンヌ大聖堂)の歴史
モーのカテドラル(サン・テティエンヌ大聖堂)の歴史

1562年6月25日:モーの町はユグノーたちによって占領され、カテドラルなど多数の建物が破壊された。パリから避難してきた人々も加わり、勢力をあげたモー地方のユグノーたちはマルシェ地区に集まり、頭首にラ・ラメの権威者ルイ・ド・モーをおいた。彼らは町の要所を占領し、その入り口には監視をおき、その後カテドラルに向かい、彫刻を施された装飾や典礼の家具調度類に対し破壊の限りを尽くした。(カテドラルの内陣にあるマリーデゥシャンパーニュの墓が破壊されたのはこの時である。)カテドラルの内陣を取り巻く雪花石膏によるレリーフ、タンパンのレリーフ、建物の門を囲むニッチに置かれた彫像といったものは、部分的に、あるいは全てを破壊された。この事件を受けて、対する国王軍はマルシェの要塞の一部、特に橋へ通じる入り口を破壊する措置を取った。モーのユグノーたちはこれにより、要塞の利点を失った。

1682年2月8日: ジャック・ベニン・ボシュエがモーの司教へ盛大に迎えられる。 “ ボシュエがモーでの席を得たのは54歳の時で、優れた才能に溢れた彼は名声の真っ只中にいた。 ” 1682年3月、 “ メルキュール・ガロンはこの偉大な高位聖職者が町に到着した時のことを、次のように語っている:モーの司教が近づいてくると知った途端、この田舎は途切れることのない町の住民たちで、男女限らず、埋め尽くされた。彼らは待ちきれず、敬意を表しに駆け寄って行った。華やかに装った将校、王家カラーの新しいマントに包まれた巡査は馬に跨り、到着を知らせるトランペットが鳴り響き、太鼓やフルートの音、国民の喜びの声とともに盛大なファンファーレが奏でられた。 ” (古仏語のテキストによる)

1839年7月: ヴィクトル・ユーゴがドイツ旅行の途中で、この地に立ち寄り、このカテドラルを訪れている。
“私はモーで3つの物に興味を惹かれた。: 左側は壊れかけた壁の古い教会に繋がり、右側は町へ続いているルネッサンス様式の感じのいい小さな門 、カテドラル、そしてカテドラルの裏にある石造りの古い家。
この家は大きな櫓に補強されており、そこには中庭があった。そこで編み物をしている老女がいたが、私は大胆にその中庭に入って行った。

しかし、その老女は私のことをほうっておいてくれた。私は、敷石が張られ、木で骨組みされたこの美しい階段をよく観察したかったのだ。この階段はさきほどの古い家まで続いており、2本の扁円アーチにもたれ、扁平状のアーチになった屋根に覆われている。
(Victor Hugo, le Rhin.  ヴ ィクトル・ユーゴのライン川による。) ”

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