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県の主要な観光地 > ムラン − ブリ地方のルテチア(パリの古名)
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古代ロマン時代からずっと、6世紀にムランになるメトロズダムあるいはムロドゥナンは、川と陸の幹線路が集中した場所に位置していた。カペー王朝は、10世紀に、ルネッサンス時代までフランス国王たちのお気に入りの滞在地となった王宮を建てた。
5つの修道院が、14〜16世紀にこの街に建てられた。
パリへの小麦粉供給のためのムランの経済的役割は、その行政的役割と同様、中世から現代に至るまで、拡大する一方である。
鉄道のパリ−リヨン−マルセイユ線が1847年に開通し、産業(Gruberのビール工場、薬学の協業)が1910年に定着し、国立憲兵隊学校が1945年にムランにできた。県庁所在地ムランは、時が経つにつれて、著名人達、アベラール、ジャック・アミヨ、ルイ・パストゥール、ポール・セザンヌ等を迎え入れた。

著名人

ミッシェル=アンリ・シャピュ (1833-1891)
彫刻家。大理石の彫像『声を聞くジャンヌ・ダルク」と、サン・アスペ教会に置かれたジャンヌ・ダルクのブロンズ像の作者。 

エチエンヌ・シュヴァリエ (1420-1474)
フランスの偉大な財務大臣かつ国王シャルル7世の遺言執行人。この文芸庇護者は、ノートルダム参事会教会をより豊かにするために、聖母マリアの金の彫像や、金銀細工品、典礼の織物、巨大なパイプオルガン等、数々の寄付を行い、ムランに貢献した。

ユジェーヌ=ガブリエル・ルロワ (1834-1908)
セーヌ・エ・マルヌの考古学・科学・文芸協会の会長である、ユジェーヌ=ガブリエル・ルロワは、地方の歴史の熱烈な愛好家だった。古文書保管人かつ図書館の管理員であった彼は、この街の歴史に関する資料と著作を分類し、ムランにおける全ての考古学的発見の調査目録を作り上げた。

ジャック・アミヨ (1513-1593)
ムランの出身であるジャック・アミヨは、1532年に芸術修士号を取得した。マルグリット・ド・ナヴァールに指名され、将来のシャルル9世とアンリ3世の家庭教師となった彼は、シャルル9世により1560年にフランスの施設付き大司祭となり、1570年にオーグゼールの司教となった。

ルイ=ユジェーヌ・ゴーダン(1823-1887)
彫刻家。市庁舎の正面前庭で1860年に除幕されたジャック・アミヨの大理石の彫像は、彼の作品の1つである。

ポール・セザンヌ (1839-1906) 
ポール・セザンヌは、ムランの 住所地2, Place de la Prefectureに滞在し、そこで絵画に没頭した。『小さな橋』『マンシーの橋』『風景』は、この期間中に描かれた作品である。

見所:

風車小屋の橋 
12世紀に建てられた「垂れ下がった風車小屋」のポートレート橋。ムランの鰻の質の良さは、鰻が橋の上に建てられた風車小屋からこぼれ落ちる小麦粉を食べるという事実に起因すると言われている。風車小屋も鰻も、今はもう存在しない。

「調教場」の窯
陶器の製造は、古代ローマ時代、日常の活動であった。騎馬隊の調教場の跡地にあったこの「調教場」の窯は、修復され、ノートルダム庭園に移動した。

ノートルダム参事会教会
1840年に歴史的建造物に分類されたノートルダム参事会教会は、サン・テチエンヌ島にある。フランソワ1世の紋章である火蜥蜴が、王妃クロード・ド・フランスのイニシャルとともに、西面に見られる。正面扉口のくぼみ台は、「無限の恩寵」のようにロダンによって引用された。

ムラン − ブリ地方のルテチア(パリの古名)

マラ橋
(フランス革命中の)総裁政府下のムラン裁判所の法院長の名を取ったゲラール橋は、1793年に木製で造られた。その後1842年に石で再建造され、マラ橋と名称変更された。

県庁:旧サン・ペール大修道院
7世紀に建てられたこの旧ベネディクト会大修道院は、現在は県庁となっている。1420年と1590年に放火され、部分的に崩壊した。1604年に再び聖別され、1665〜1685年に教会を再建したサン・モールの修道士たちを収容した。1801年に、県はここに、県庁オフィスと知事の住居を設置した。

ヴォーの散歩道
1844年に完成したヴォーの散歩道は、マラ橋のポートレートである。菩提樹の木の下にベンチが設置され、セーヌ川では小舟が貸し出されており、「セーヌ川の浴場」が整備され、目覚しい成功を収めている。1930年には、ヴォーの散歩道に、ガス灯の照明が設置された。

サン・ジャン噴水
県に流れている3つの川(セーヌ川、マルヌ川、ヨンヌ川)を表す寓話的な3つの彫像がある。

サンスの館から市庁舎まで 
サンスの館(「サンス」はアンシャンレジーム体制下での税金のこと)は、マドレーヌ・ド・トレネルの修道女を代わる代わる収容し、王の顧問J・リオット氏に買い取られ、革命下でショワスル公の避難所となった。

マルトロワ広場
1209年に死刑執行人の家と絞首台があったのは、この広場である。ここは、サン・ピエール大修道院の裁判の中心地であった。マルトロワ広場は、小麦の市と「サン・バルテレミーの神秘」(ルイ11世の祭りの名称)のためにとても人通りが多く、ギャレールのホテル業の評判が大変高い。

サン・アスペ教会
5つの身廊を持つゴシック様式の教会。特筆すべきは、聖ピエールの17世紀の木造彫刻、使徒と教会の神父の頭部の6つの白い大理石彫刻、十字架なしに直接壁に取り付けられた木造のキリスト像、16世紀のステンドグラスなどである。

果物橋
中世時代に、セーヌ川の小さな支流に造られた橋。8つのアーチで構成されており、橋の脇には、ムランの王立裁判所の本部グラン・シャトレと絞首台とがあった。1944年の爆撃で崩壊し、1948年に再建され、1950年に「ジャンヌ・ダルク橋」の名で利用が再開された。

子爵の館
1574年頃に建造されたこの建物は、1654年に、ヴォー・ル・ヴィコント城の建設を監督する際の住居とするためにニコラ・フーケにより買い取られた。1966年以後は、ムラン美術館となっている。そこでは、19世紀のムランの異なる地区や人物を描いたデッサンのコレクションを見ることができる。

中世の城塞
行政と物資供給の中心地であり、フランスの歴代国王の居住地であったムランは、フィリップ・ル・ベル(フィリップ美男王)の御代において、第2の王家の街であった。城がある島は、最初に要塞化されたところであり、新しい城塞はフィリップ・オーギュストの下で建てられた。18世紀に崩壊し始め、1851年に消滅した。コントルスカルプ通り、エプロン通り、フォッセ通りなど、ムランのいくつかの通りは、この城塞の名残を今も留めている。

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